千日回峰行 死のなかへ入る
焼十万枚護摩供行を満行した後、いまだ未熟な自分を私自身がよく知っていた。
まるで何かに駆り立てられるように、またさらに厳しい行のなかに入っていった。
千日回峰行・・・。それは荒行の中の荒行。苦行を求めてきた私にとって最後の行であり、私が本当に世の人の助けとなる人間になれるかどうかの、自分自身への大いなる挑戦でもあった。
千日回峰行は、一年目と二年目百日、三年目から五年目二百日づつ、六年目と七年目百日、
一日約三十km以上を歩き、合計七年間で満行するという修行である。
私の人生の七年間を費やし、一日約三十kmから四十km以上を千日間歩くことになる。
これは、総計四万二千キロにも及ぶ。
心の叫び
二十代も三十代も修行に費やし、いつになったら終わるのだろうか・・・。
生涯苦行のなかにこの身をゆだね、いつの日か私は野たれ死にするだろう。
個人的な悩みなど何一つない私が、人々を苦悩から解放せんがために青春のすべてを修行に費やそうとして、すでに十年以上がたった。
己の命と引き換えに人の命を救おうと、大それた考えをもったがゆえに私は修行のなかに
入らなければならない。
私はきっと誰よりも大馬鹿者なのだろう。きっと私は、馬鹿者として生まれたに違いない。
私の考え、行動は私自身によっても止められない。止めたら楽になるだろうと思うが、私
には止められない。
私はこの七年間の修行の最中に、きっと死ぬだろう・・・。
しかし、私の心のなかの仏が私を修行に駆り立て、進ませる。
千日回峰行・・・入行
平成元年五月六日、
山田龍真師を導師に受戒式が行われた。
山田導師は私にこう訪ねた。
「親、兄弟、家族を捨てられますか・・・」。
私は即座に「捨てられます」と答えた。
しかし、私の心中は言葉とは裏腹に涙で一杯であった。
心の中で何度も何度も両親に向かって手を合わせた。
平成元年五月十八日深夜入行
白装束に金剛杖、腰には自決用の短刀を差し、人々の願いと名前の書いた巻物を背負い、首には六文銭、あじろ笠とわらじ、回峰行犬「十兵衛」をお伴に連れ、暗い山中へと向かった。夜がこんなに暗いとは想像もしなかった。
この年は長雨が続いた。
雨が降ると全身の消耗が著しい。
私は、一日目で右ひざを痛め、
「この行中に野垂れ死にするのではないだろうか・・・」。
そんな思いがよぎった。
平成元年五月二十日 雨
地下足袋に雨が染み込み、足の皮がふやけ歩くたびに擦れて指の皮がめくれて血がでる。雲のなかを歩いている。
雨は風で下から吹き上がり、寒い。
激しい呼吸法で体が冷えるのを防ぐ、
一歩・・・一歩・・・歩いた。
この一歩なくして山頂はない。
帰ることもできない。
六月十六日 雨
明け方になっても一メートル先も見えないほどの土砂降りだ。
私は、歩きながらいろいろ浮かんでくる
心の様を見ていた。
人生はいつもこのような一歩一歩の積み重ね。
この一歩が正しい方向なのか、間違った方向なのか、
今の私にはわからない。
ただ自分を見つめ、人々の苦しみを代わらんがため今日も歩く。
今日の一歩が千日へと続いているのだ。
八月二十五日 百日間の回峰行満行の日を迎えた。
しかし、私の心は未だ暗闇の中にあった。翌年平成二年五月十二日 第二回目の回峰行開白
「歩いて何になるのか」と、もし誰かに聞かれたら、
私は「何にもならない、無だ」と答えるだろう。
人はすぐに結果とその意味を求めたがる。
結果が見えることしか努力をしない。
私は「何にもならない」ということに全身の力を傾けている。
きっと誰も理解しないだろう・・・。
修行とは何か、宗教とは何なのか、ひとりの人間として、どうしたら生きられるのか、どのようにして人は仏となるのか、善も悪も何が基準なのか・・・。
私は大地に、虚空に、暗闇に、森の木々に問いかけた。
そして五月二十三日 夜明けの養老山頂
私のなかで何かが溢れ出し、表現のしようがない真実が全身を駆け抜けた。
私は真実に目覚めた。
「私は私自身にだまされた」、「私が信じていたものは全てまちがっていた」。
「信じることは、本当のことを知らないから信じるのだ」、
「知ることで信じることは何ひとつなくなる」、「私を信じてはならない」。
「私を信頼してほしい」。
「組織宗教は愚かだ」、「人を目覚めさせるどころか、人を盲目にする」。
「神が愛なのではない、愛が神なのだ」。
「愛のあるところに神がいる」。
西暦千九百九十年、平成二年五月二十三日、寅ノ刻、十八年にわたる長き苦行が、
夜明けとともに終わりを告げた。
私に起こった真実を伝えることで、私はやっと本当に人の助けになれる。
たった一人でも、私は目覚めた人を生み出す・・・。